日本の夏。盆の季節は時代の巡り合わせか、8月15日の終戦の日と重なります。単に亡くなった先祖の霊が帰ってくるという時期だけでなく、先の大戦で亡くなった方の魂を慰霊する季節にもなっています。何か特別な意味が加わった盆であるのが戦後からの盆なのでしょう。
もしあの戦争がなければ、家族や地域の意味の強い盆のだったのかもしれません。
昭和20年8月15日正午。ラジオの玉音放送で戦争は終わりました。実際は日本を守るために戦い続けていた方もたくさんいたわけですが、形としては昭和天皇の御聖断で終結したわけです。
さて、あの日の玉音放送。「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」という言葉だけは当時を知らない人でも頭にあるフレーズでは無いでしょうか。
でも全文となると読んだことがある人はどれほどいるのでしょうか? ここでは玉音放送の全文を見ておこうと思います。その評価や感想、思うことなどは各自がそれぞれ考えてみるというのがいいのではないでしょうか。
玉音放送の全文
玉音放送は、正式には「大東亜戦争終結に関する詔書」と言います。
玉音放送の全文は宮内庁のホームページに掲載されています。政府の文章ですから一応これを基準をするのがいいのでしょうね。もちろん、漢字は時代によって表記が変わったりもするものでしょうけども。
放送の音声に関しては、NHKのホームページの戦時録音資料で聴くことができます。
玉音放送の全文は以下のとおりです。
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々惜カサル所曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ心霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負イ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ
このころの時代の文章は、訓読調や漢字の使い方で現代ではやはり読みにくいですね。句読点も濁点も打たれていないので、補って読む必要があります。
玉音放送の読み方
この玉音放送の読み方を書いてみました。適当に句読点も入れています。
ちん、ふかくせかいのたいせいと、ていこくのげんじょうにかんがみ、ひじょうのそちをもってじきょくをしゅうしゅうせんとほっし、ここにちゅうりょうなるなんじしんみんにつぐ。
ちんは、ていこくせいふをして、べいえいしそしこくにたいし、そのきょうどうせんげんをじゅだくするむね、つうこくせしめたり。
そもそもていこくしんみんのこうねいをはかり、ばんぽうきょうえいのたのしみをともにするには、こうそこうそうのいはんにして、ちんのけんけんおかざるところ、さきにべいえいにこくにせんせんせるゆえんも、またじつにていこくのじぞんととうあのあんていとをしょきするにいでて、たこくのしゅけんをはいし、りょうどをおかすがごときは、もとよりちんがこころざしにあらず。しかるにこうせんすでにしさいをけみし、ちんがりくかいくうしょうのゆうせん、ちんがひゃくりょうゆうしのれいせい、ちんがいちおくしゅうしょのほうこう、おのおのさいぜんをつくせるにかかわらず、せんきょくかならずしもこうてんせず、せかいのたいせいまたわれにりあらず。しかのみならず、てきはあらたにざんぎゃくなるばくだんをしようして、しきりにむこをさっしょうし、ざんがいのおよぶところしんにはかるばからざるにいたる。しかもなおこうせんをけいぞくせんか、ついにわがみんぞくのめつぼうをしょうらいするのみならず、ひいてじんるいのぶんめいをもはきゃくすべし。かくのことくんば、ちんなにをもってかおくちょうのせきしをほし、こうそこうそうのしんれいにしゃせんや。これちんがていこくせいふをして、きょうどうせんげんにおうじせしむるにいたれるゆえんなり。
ちんは、ていこくとともにしゅうしとうあのかいほうにきょうりょくせるしょほうめいにたいし、いかんのいひょうせざりをえず。ていこくしんみんにしてせんじんにしし、しょくいきにじゅんじ、ひめいにたおれたるものおよびそのいぞくにおもいをいたせば、ごないためにさく。かつせんしょうをおい、さいかをこうむり、かぎょうをうしないたるもののこうせいにいたりては、ちんのふかくしんねんするとこなり。おもうにこんごていこくのうくべきくなんは、もとよりじんじょうにあらず。なんじしんみんのちゅうじょうも、ちんよくこれをしる。しかれどもちんは、じうんのおもむくところ、たえがたきをたえ、しのびがたきをしのび、もってばんせいのためにたいへいをひらかんとほっす。
ちんは、ここにこくたいをごじしえて、ちゅうりょうなるなんじしんみんのせきせいにしんいし、つねになんじしんみんとともにあり。もしそれじょうのげきするところみだりにじたんをしげくし、あるいはどうほうはいせい、たがいにじきょくをみだり、ためにだいどうをあやまり、しんぎをせかいにうしなうがごときは、ちんもっともこれをいましむ。よろしくきょこくいっか、しそんあいつたえ、かたくしんしゅうのふめつをしんじ、にんおもくしてみちとおきをおもい、そうりょくをしょうらいのけんせつにかたむけ、どうぎをあつくし、しそうをかたくし、ちかってこくたいのせいかをはつようし、せかいのしんうんにおくれざらんことをきすべし。なんじしんみんそれよくちんがいをていぜよ。
ちょっとひらがなばかりだと、これも読みにくいですね。
原文と合わせて読み下し風にするとこうなるでしょう。
朕(ちん)、深く世界の大勢と、帝国の現状とにかんがみ、非常の措置をもって、時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なる汝臣民に告ぐ。
朕は、帝国政府をして、米英支ソ四国に対し、その共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。
そもそも帝国臣民の康寧(こうねい)をはかり、万邦共栄の楽を共にするは、皇祖皇宗の遺範にして、朕の挙々おかざるところ。先に米英二国に宣戦せるゆえんも、また実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに、出でて他国の主権を排し、領土を侵すがごときは、もとより朕が意志にあらず。しかるに、交戦すでに四歳をけみし、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、おのおの最善を尽くせるにかかわらず、戦局、かならずしも好転せず、世界の大勢、また我に利あらず。しかのみならず、敵は新たに残虐なる爆弾を使用し、しきりに無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶところ、まことに測るべからざるに至る。しかもなお交戦を継続せんか。ついにわが民族の滅亡を招来するのみならず、のべて人類の文明をも破却すべし。かくのごとくむは、朕、何をもってか、億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せんや。これ朕が帝国政府をして共同宣言に応ぜしむるに至れるゆえんなり。
朕は帝国とともに、終始、東亜の開放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるをえず。帝国臣民にして、戦陣に死し、職域に殉し、非命に倒れたる者、及びその遺族に想を致せば、五内ために裂く。かつ戦傷を負い、災禍をこうむり、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん)するところなり。おもうに今後、帝国の受くべき苦難は、もとより尋常にあらず。汝臣民の衷情も、朕よくこれを知る。しかれども、朕は時運のおもむくところ、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す。
朕はここに、国体を護持しえて、忠良なる汝臣民の赤誠に信倚(しんい)し、常に汝臣民と共にあり、もしそれ情の激するところ、みだりに事端をしげくし、あるいは同胞排擠(はいせい)、互いに時局を乱り、ために大道を誤り、信義を世界に失うがごときは、朕もっともこれを戒む。よろしく挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらんことを期すべし。汝臣民、それよく朕が意を体せよ。
おそらくこちらの方が読みやすいですかね。
玉音放送を現代語訳にしてみる
玉音放送の現代語訳は様々ありますが、ここに私訳として現代語にしてみます。当時のことや使われている漢字を考えると学問的には正確ではない訳になっているところもありますが、内容の理解を優先しています。厳密な訳は他を当たってください。
私は、深く世界の大勢と日本帝国の置かれている現状をかえりみて、非常措置をもって事態を収拾しようと考え、ここに忠実にして善良なる日本国民のみなさんに告げます。
私は帝国政府に、米英中ソの四国に対して、そのポツダム宣言を受諾する旨を通告させました。
そもそも、日本国民の安寧をはかり、あらゆる国が共存共栄の豊かな生活をともにすることは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてきたもので、私はそれをつねづね心がけてきました。先に米英の二国に宣戦した理由も、実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するようなことは、もとより私の志すところではありません。
ところが、交戦状態はすでに四年が経過し、私の陸海軍の将兵の勇敢なる戦い、私のすべての官僚役人の精勤と励行、私の一億国民大衆の自己を犠牲にした活動、それぞれが最善をつくしたのにもかかわらず、戦局はかならずしも好転せず、世界の大勢もまたわが国にとって有利とはいえません。そればかりか、敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲はまことにはかりしれません。
この上、なお交戦を続けるのでしょうか。ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅することにもなりかねません。そのようになったならば、私は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊に謝罪すればよいか。以上が、私が帝国政府に命じて、ポツダム宣言を受諾させるに至った理由です。
私は、帝国とともに終始一貫して東アジアの解放に協力してくれた諸々の同盟国に対し、遺憾の意を表明せざるをえません。帝国の臣民の中で、戦陣で戦死した者、職場で殉職した者、悲惨な死に倒れた者、およびその遺族に思いを致すとき、私の五臓六腑は、それがために引き裂かれんばかりの思いです。かつ、戦傷を負い、戦争の災禍をこうむり、家も土地も職場も失った者たちの健康と生活の保証にいたっては、私が心から深く憂うるところであります。
思うに、今後、帝国の受けるべき苦難は、もとより尋常なものではないでしょう。国民のみなさんの真情も、私はそれをよく知っています。しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出したいと思います。
私はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる国民のみなさんの真実とまごころを信頼し、常に国民とともにあります。もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うような事態を招くのは、私のもっとも戒めるところであります。
そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の進む道におくれを取らぬよう心がけてください。国民のみなさん、以上のことを私の意志として受け止めてください。
ちょっとどうかなとか、砕けすぎかなとか、思い当たるところはありますが、まあ雰囲気は掴める内容にはなると思います。
大切なのは厳密な訳を作るのではなく、厳密な理解をすることではないでしょうかね。それが昭和天皇の思いでもあるでしょう。
まとめ
読んでどう感じたでしょうか。単なる現代の平和運動の思想のようなものでもなく、もちろん戦争肯定でもなく、かといって単なる反戦でもなく、敵国の原爆投下への批判もある。日本はどんな世界をこれから作っていくのか、しっかり考えて貢献して行こう、立派な国を作って行こうという感じの、あの時期としては苦しい思いの中にしてはとてもポジティブな決意のようにも思います。なんだか、歴史の授業で習った印象とは違うような気がしますね。
どう感じるか、考えるかは各自胸にすればいいでしょう。議論をするつもりはありません。
ただ、私は読んでいて背筋が伸びました。