映画「空母いぶき」公開前に、佐藤浩市の発言で失望の声多数




2019年5月25日に映画「空母いぶき」が公開されます。

「沈黙の艦隊」「ジパング」のかわぐちかいじの原作の軍事作品だけあって、期待がふくらみます。

ところが、出演している佐藤浩市のインタビュー記事で、一部で批判が沸き起こってるようです。

私が見たのは百田尚樹さんのこのツイートからですね。百田さんは確か「海賊とよばれた男」の映画で、原作者であるにも関わらず、CMや予告ムービーで原作者の名前が表示されないという映画界のおかしな姿勢の被害にもあっていましたね。

佐藤浩市の発言

映画『空母いぶき』特集号の表紙が佐藤浩市のビッグコミックに佐藤氏のインタビューが掲載されています。

その中で、こんなコメントがあるようです。

「最初は絶対やりたくないと思いました(笑)。いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残ってるんですね」

「でも監督やプロデューサーと、僕がやるんだったら垂水慶一郎をどういう風にアレンジできるかという話し合いをしながら、引き受けました」

僕はストレスに弱くて、すぐにお腹を下してしまうって設定にしてもらったんです。だからトイレのシーンでは個室から出てきます

誰もが連想するのは、第1次安倍政権で安倍総理が途中退陣した話です。

そこまでアレンジする必要あるのでしょうか?

批判されているのは総理への揶揄ではなく病気への揶揄

この批判、安倍総理の揶揄として批判されていますが、佐藤浩市を擁護する意見として、「確かに安倍総理は第1次政権を途中で投げ出したわけだから、その後の国政に混乱を招いたことに対して批判はあっていい」ということで、この演出はアリで何を文句言っているのだという声をツイートで見ました。

確かに安倍総理の退陣は病気が原因でした。政治が停滞したのは当然批判されていい。でも病気に関しては以後わかったことで、しかも、単なる誰もがなるような腹痛ではなく、難病に指定されている潰瘍性大腸炎です。

消化器系のこの難病で苦しんでいる人は多い。だからこそそういう自分ではどうしようも無い苦しみに対しては、揶揄するのはやめるべきだというのがここ数年のトレンドだと思います。この潰瘍性大腸炎だけでなく、福島の原発事故での風評被害やLGBTなどもそんな流れの一つじゃ無いですかね?

そういった意識が、この発言には全く無いと批判の声をあげているのではないですかね。

設定を変えずとも演技の中で表現するのが俳優では?

ストレスへの弱さ。いや、政治家はストレスにさらされるものでしょう。総理大臣になろうとする人物がそんなストレスに負けるようなものでしょうか。そんな覚悟で総理を目指すものでしょうか?

弱々しい表現をしたいのであれば、脚本を変えずとも演技で乗り切るのも俳優ではないでしょうか。やりたくないから設定を変えてもらうなんて、脚本へのリスペクトはないのでしょうかね。もちろん、そういう脚本を変える話はよく聞きますけども。

ただ、そんなにストレスに弱い総理を演じたいのであれば、お腹を下してトイレに行くという設定じゃなく、会見のシーンや重要な決断を迫られた時に、目が泳ぐとか、冷や汗を滲ませるような表情とか、手がそわそわするとか、足を貧乏ゆすりするとか、気持ちを落ち着かせるようにその場のコップの水を飲むとか、色々あると思います。

それが俳優の仕事なのではないですかね?

イデオロギーが極端になると作品はつまらなくなる

俳優に反体制志向の人がいるというのはよくききます。これまでの俳優さんはそれ以上に演技で勝負したのではないでしょうか。作品と個人の主義主張は別。

実際、ここでいう体制側を演じている俳優さんはたくさんいるでしょう。

でも、イデオロギーに満ちた作品は、はっきり言って飽きられてるのではないでしょうか?

例えば、中国で反日ドラマがたくさん作られていると言われていました。最初は人気だったそうですが、手刀で日本軍をやっつけるとか、あまりにも荒唐無稽なストーリーが増え、「ならなんで戦前に日本軍にあれだけやられているんだよ」とかいうツッコミも多く出るようになったとか。そんなドラマに食傷気味になっていったという話がありました。

これはストーリー構築でも重要なことでしょう。

体制側を描いて、それに対してアンチテーゼを描きたい場合は、強力な体制側にしないと作品として意味がありません。先の中国の反日ドラマにしても、日本軍が最強であるからこそ、それに立ち向かって大変な思いをして勝利を勝ち取るから面白いんです。

「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」において、サザビーでνガンダムに乗るアムロと戦う中で、シャアはこんなことを言っています。

「命が惜しかったら、貴様にサイコフレームの情報など与えるものか」

「情けないモビルスーツと戦って勝つ意味があるのか?」

相手は強くないとダメなんですよ。

空母いぶき、見に行く?

さて、この佐藤浩市の発言で、この映画を楽しみにしていた人の中でシラけてしまった人の声がネットにたくさんあります。

豪華なメンバーなのに、勿体無い。まあ、興行的にたいして影響があるとは思いませんが、佐藤浩市やこの映画の監督は、今後、作品でいくらか見てくれる人を失ったかもしれませんね。

まあ、私は映画を映画館でわざわざ見ることはあまり無いので、シラけはしていますが、生活としては影響はありません。地上波で放送したら見るかな?

映画を見ない!と言った人は、敢えて見に行くのもどうでしょうか?他の俳優さんの演技を見るためです。そして佐藤浩市の演技を笑いに行ってもいいのかなと。

てかさ、体制側を揶揄って、もうかっこ悪くないかい? 揶揄してる佐藤浩市の側の方が、十分に映画作りの世界での体制側なんですけどね。日本の体制側って結構ボロボロじゃ無いですか。日本経済の大企業の情けない有様を見てたらそうでしょ? 政治も一緒です。高度経済成長もバブル経済もはるか昔のことです。政治のスキャンダルだって昔のようなスケール感のあるものが無いですしね。

そもそも、原作では中国と表現しているところを、映画では正体不明の国になっているようで、そんな忖度をする必要は無い(なんせ中国では反日ドラマがたくさんあるし)とも思うのでが、そこはそういう設定にするのも国際関係をイラつかせないようにという観点から考えたら「まあ、そういう配慮もあってもいいのかもな」とは思います。ならば、腹痛を揶揄することに繋がるような設定変更もする必要無いでしょう。どこに配慮しているんだ?

にしても、「期待してたのに一気に引いた」ってようなコメント、ツイッターには結構ありますね。

「空母いぶき」出版元の小学館の反応

この騒ぎを受けて、出版元の小学館は次のような談話を出したようです。

「作品はフィクションであり、実在の人物ではございません」

そんなこと誰でもわかっとるわwww さらなる燃料投下じゃないか!www

といいつつも、今回のこの想像、結果的に炎上商法になってPRとしては大成功に繋がったんじゃないだろうかなぁ。

でも、佐藤浩市は完成披露試写会で今回の批判には触れなかったとか。ここで、「ネットで話題になってることですが、特に他意はなかったことなのですけど誤解されるようなことになって申し訳ない。確かに病気を揶揄したように受け取られてもしかたないです。でも、私の発言に疑問を持った方こそぜひこの映画を見に来てください。絶対に期待を裏切らない映画になってますから」って感じで発言してたらカッコよく収まったと思うのになぁ。