スピノザの『知性改善論』を読む。
薄い本ですから、そんなに苦労せずに読み通せる本です。岩波文庫で本文は80ページほどしかありません。
眠い目をこすりながらでも読めるはず。
スピノザの『エチカ』が独特な構造と繋がりを持っているので読みこなしにくいのに比べて、こちらは読めます。スピノザ自身による入門書といった感じです。
この『知性改善論』の第2段から第11段(岩波文庫P11~17)あたりを読んでいると、次のように思えてきます。
人生の目的を最高の喜びを求めることとします。
これは漠然としてますが、特に異論は無い人生観だと思います。
ここで2つのパターンを考えます。
(A)最高の喜びのために世俗的善を犠牲にする
(B)世俗的善のために最高の喜びを犠牲にする
最高の喜びとはまだ確信は持てない不確実なものではあるが、究極的な追い求める何ものかと考えます。世俗を突き抜けたところの幸福といったところでしょうか。
世俗的善とは欲望と捉えてみます。世間的な成功を収めることとか、財産や地位を得るといったことでしょうか。
(A)(B)どちらを人生の目的として選ぶのが正しいのか?
(B)を選ぶとすると、いくら成功したとしても世俗的なことに常に悩まされる生き方です。人間関係に悩まされたり、金銭トラブルに巻き込まれたりと失うものとの背中合わせの人生です。
しかも(B)を選ぶということは、(A)という最高な何ものかを最初から捨ててしまっています。
すると、どちらに望みがあるか?
それは、(A)の方です。
最初から確信をもてない何ものかを追い求めているということは、最初から失うものは何もないという生き方の姿勢と同じです。
また、(A)は世俗的なものを犠牲にしているように見えても現実に世俗の中で生きており、実は(A)の生き方とは世俗的なものに執着しない姿勢を伴ったものであって、結局のところ世俗的な成果も結果として生じているという状態です。
だから(A)の生き方を選ぼう!
これが私の読み取ったスピノザの『知性改善論』的人生成功法則です。
この読み方が正しいかどうかなんて知りません。私は哲学者ではないですし。
でも、こう考えると現実の見方がちょっと変わってくるような感じで、ちょっと希望も見えて来るような感じにもなりますね。
Q.E.D.