原田まりる『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のことを教えてくれた。』にプッと吹きまくる。こんな哲学初めて。




#ニー哲 のハッシュタグでTwitterで盛り上がっている本が『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のことを教えてくれた。』なのですが、著者である原田まりるさんが『原田まりるが本を書いておっさんの私に哲学のことを教えてくれた。』というのが読んでいての感想です。哲学エンタメ小説となってるだけに、堅苦しい哲学に頭を悩ませて眠くなることもなく、頻繁に「プッ」と笑ってしまうところが個人的にはたくさんあっていろんな意味で楽しめました。

ちょっと恥ずかしい表紙のニーチェ本

哲学は昔から好きで学生時代からよく読んでいました。ですからこの本の出版情報を知った時から手にとってみたいと思っていたのですが、この手の表紙はちょっと買うのが恥ずかしくて躊躇しちゃうんですよね。

原田まりる『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』

書店の若い女の子にこの本を出すのはおっちゃんにはちょっと恥ずかしい。だからと言ってエロ本を買うように別の本をこの上に重ねて出したりするような思春期の男の子になるわけにもいかないので、しっかりAmazonで買いました(笑)

哲学が好きとは言っても、基本的に実存主義哲学についてだけはどうも説教臭い感じがして好きになれずにいました。読んでいて陰気になる。通っていたミッション系の大学にはキリスト教概論が必修科目だったのですが、その講義の中でもキルケゴールやサルトルが出てきたりしたものです。牧師が講師でもあったため、どうも説教されている気がして鼻についていたわけです。

ですが、この本で主人公アリサと行動を共にするニーチェ。ニーチェの本だけはすんなり読めた記憶があります。岩波文庫の『ツァラトゥストラはこう言った』を読んだ時、「他の哲学ほの本とは違って小説のように読める。何か違うな」と思ったものです。

ニー哲から感じる他の作品の雰囲気

さて、この「ニー哲」ですが、表紙を見て連想したのが『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』ですね。

担当した編集者さんは違うみたいだが、出版社は同じダイヤモンド社ですね。

いつのまにかイノベーションと起業家精神編も出てる。おいおい。

もしドラと違うのは、ニーチェ本人?が現世に降臨しているというところでしょうか。

降臨といえば、神様のガネーシャが出てくるやつもありましたね。

水野敬也さんの『夢をかなえるゾウ』です。

主人公は女子高生ではないけども、ニー哲に似たようなフォーマットを感じたのですが、神はすでになんでもわかっている存在、人知を超えた存在であるわけです。ニーチェが語るのは超人。ここは神は死んだと言ったニーチェとの違いからの永劫回帰ともいうべきでしょうか。

そういえば、イエスとブッダが東京の立川で生活する『聖☆おにいさん』という作品もありましたね。

これも「ニー哲」の世界と被りました。どうも日本はいろんなキャラクターが降臨する国なのでしょう。さすが八百万の神の国、ニッポン!

さて、このニー哲を読んでいて感じた面白さは飲茶さんが書いた哲学者の格闘技場入場のシーンに通じるものを感じました。もっとも飲茶さんの本では格闘シーンとしてのストーリーが繰り広げられることはないのですが、まりるさんは1冊丸ごとやってくれたという感じです。

ツッコミながら読め!

ニー哲に出てくる哲学者の言葉や概念は知ってる人にはおなじみのものも多いので、既知の知識を発掘しながら読んでもいいですし、全く哲学について知らない人や高校の倫理くらいでしか眠くなりながら学んだことしかない人にとっては、哲学は生活のすぐ隣にあると感じさせてくれるほど面白く読めると思います。

内容の詳細には触れませんが、ニー哲で個人的に気に入っているのは哲学自体ではなく、ところどころに頻繁にでてくるツッコミどころ満載なやりとりや主人公の内面で語られる言葉です。サブカルちっくな小ネタがいっぱい。知ってる人が読めば「お!そこ使うの!?」ってシーンの宝庫です。おそらく気づいていないネタもあると思います。そういうところにも気をつけながら読むとさらに楽しいですよ。著者の原田まりるさんはアニメ、漫画にも相当詳しい人のようです。

それにしてもなぜニーチェはニーチェなのだろう。霊的な存在としてならわかるのだけど、日本の、しかも京都という場所のどこかでニーチェとして生活している。とても不思議な感覚です。

どうせなら、ニーチェは新井千英、マルチン・ハイデガーは波出川丸男、ショーペンハウアーは小辺晴和、ジャン・ポール・サルトルは路堀悟、キルケゴールは木留家剛みたいな名前にしたらどうかと思ってしまいました。

アニメにもなっている『はたらく魔王さま』のように魔王サタンが真奥貞夫、アルシエルが芦屋四郎、ルシフェルが漆原半蔵って感じでも面白いかなとも思ったのです。

でも、そうなるとどの哲学者かわからなくなるので、やはり昔の名前で出ていますの形で正解か。

舞台が京都というのも魅力的です。私も京都には少しだけ住んでいた時期がありましたので、なんとなく地域の位置関係に思いを巡らしたりすることもできます。なんだか京都に行きたくなる作品でもありますね。

楽しむことだけに注目して疾走するように読んでもいいし、その面白さの中に出てくる哲学のフレーズに一度立ち止まって己について考えるもよし。哲学とエンタメの融合です。ペンパイナッポーアッポーペンです。

この小説に出てくるニーチェに一つだけ注文をつけたいセリフがP71にありました。

周りからどう言われようとも、媚びず!退かず!省みず!

ニーチェはこう言った。(ちょっとここは『ツァラトゥストラはこう言った』にかけてみた)

このセリフは私としてはこう変えて欲しいと思うのです。

退かぬ!媚びぬ!省みぬ!

ここは北斗の拳の聖帝サウザーであって欲しかった。

「天空に極星は二つはいらぬ!」

ここは意図的なものなのかわかりませんが、こういう小ネタがいっぱいあるのです。私は哲学よりもそっちの小ネタの出てくるテンポやタイミングが楽しくて仕方ありませんでした。

最初にも書きましたが、私は実存主義哲学にはあまり関心がありませんでした。というのも、これは思想史上の論争の中で、サルトルがレヴィ=ストロースの構造主義に満足な反論ができなかったというエピソードからです。この点の評価については私は今も変わっていません。世界を説明するには構造主義の方がまだ力を持ってる。また、哲学は昔から万学の女王と言われていますが、科学哲学の分野がわからない部分はわからないものとして割り切りながらも学問の基礎づけとして探求を広げているように感じる一方で、実存哲学の見てる世界に狭さを感じてしまうのです。

この点については今後も感想は変わらないとは思います。

でも、この本はそんなこと抜きに実存哲学と向き合わせてくれます。ニーチェ自体は今でも読みますし、この本にも出てくるハイデガーは実存哲学には収まりきらない射程を持っていますしね。

他のパターンも期待したい

次の企画はどんなものになるのか楽しみです。できたら、カント、フッサール、アリストテレスあたりを料理してくれるのを期待したいですね。

それよりも、このニー哲、アニメやドラマに絶対合うと思うので、そちらも大いに期待したいです。

ちょうど今は読書週間の時期。読書の秋の1冊としてもどうぞ。(それにしても最近の本のタイトル長すぎw)

さて、ニー哲にあった言葉、元の文献にあたってそこでまた出会って見ますかね。