そんな意見、言う意味ある? と感じて、つまらん、面白くない、と思ったりするのが、ブログのコメント欄に来るスパム以外のコメントですわ。一言言わなきゃ気が済まないタイプ、ツイッターで言う脊髄反射してしまうタイプって感じの人でしょうかね。
コメント欄って上手く使えば面白いものになったりするのですが、それはブログの扱ってるテーマなどにも寄りますよね。技術的で超専門的なものになれば盛り上がったり有益なやりとりになったりしますけども。
でも、こういう雑多なブログとかはそう言う訳にもいかない。こんなのが来ましたわ。もうええスパムも含めて加減うっとおしいのでコメント欄を全部閉じましたわ。
「人それぞれ」と主張するシラケた人
「それは人それぞれですよ」って意見ほど、何も言ってないに等しくてつまらない物言いは無いと思います。なら、そう言う言い方もできないはずなんですよ。
コメントがついたのはこの記事。言いたがり性格の人でしょうかな?
ついたコメントはこんなもの。
「知りたい内容が載っていない」も「検索すればわかる事しか載っ
てない」も立派なレビューですよ。
それでも買う価値があるかどうかは人それぞれです。
レビュー者にとっても、どこを評価するかは人それぞれです。
レビューに対し、「参考になった」と評価するのもそれぞれです。
慎重に選ぶ人は低評価、高評価、両方の内容を見て決めるでしょう。
些細なことでも人によって失敗したと思うことがあるわけですから。 私にとっては参考にならないのは、品物でなく店の評価になっちゃ
ってるやつですね。
お利口さんぶった立ち位置ですわ。
でも、こう言うのに限って、インチキメルアドでコメント入れるんですわ。その時点で根性曲がっとる。神奈川県のお前や。
そんなことわかっとるがな – なんでも相対化するくだらなさ
私の投稿での意見に対して、「人それぞれ」だからと説教垂れてる訳ですが、ならば私の意見もその「人それぞれ」なんですけどね。
それに、「この投稿自体もAmazonレビューに対するクレーマー的気質でもありますけども」と触れて、このコメント人の言う「人それぞれ」的なスタンスの立場をとってる訳ですよ。
主張って人それぞれなのは当たり前で、それを「人それぞれ」だからってなんでも相対化して気取るくだらなさには辟易してしまいます。言語学者の丸山圭三郎氏はケセラセラ相対主義とか言って揶揄ってたかなぁ。なんかそんなのを思い出したわ。
わしがくだらん!と言ってることも、お前の言う「人それぞれ」になるやろが、ボケ。
こういう「人それぞれ」と持ち出す人は、その相手に対してはなぜか、その「人それぞれ」が抜けてるんだよなぁ。
それに、「人それぞれ」で意見をまとめるのって、面白いんだろうか?
人が主張することって、相対化だけでなくなんらかの絶対評価という感覚があるものだと思いますけどね。
で、この人、最後に自分としての意見を述べてるのですけど、記事内のリンクにもあるように、同じようなことはすでにこっちも書いてるんだよなぁ。
ほんま「人それぞれ」って主張はつまん無いわ。くだらない。何も言ってないに等しい。
コメント欄よりもメールなどかな
ということで、このブログのコメント欄を閉鎖しました。ほんまつまらんコメントかスパムくらいなのがほとんどなので。
それに、メルアド誤魔化す投稿も所詮迷惑行為のようなもんでしょ。
だから先日、コメント一括閉鎖のプラグインについて触れたんですわ。
前々からやろうと思っていたんですけどね。最近の記事はコメント欄が表示されて無いはず。
おそらく、本当にやりとりが必要なものであれば、コメント欄が無くてもメールフォームでコメントすると思うんですよね。
結論
「人それぞれ」とかいうくらいなら黙ってろ!
ほんま「人それぞれ」とかでまとめたら何も語れなくなるわ。
語り得ぬものについては、沈黙せねばならない。 ( ウィトゲンシュタイン)
ん? ちょっと違うな。