百田尚樹さんの『日本国紀』の肝は近現代史を読むことにある




百田尚樹さんの『日本国紀』について、私は「ちょっと期待し過ぎた」という評価をした記事をすでに書きました。

あちこち間違いなどが指摘されていた部分など、版を重ねるごとにかなり修正しているようです。最初の出版時からすれば、少し恥ずかしいような修正になっている部分もあると思いますが、間違いとか誤解を受ける部分はきちんと訂正されるべきなのが本というものですから、これはいいことですね。どんどん修正すべきところは修正して、本としてしっかりしたものにして欲しいです。

本の重版時の修正を改竄って言うか?

で、この修正を大幅改竄とか言って批判してる人がいるようなのですが、この作業は改竄とは言わんだろ。アホかいな。アンチをするなら、もうちょっとマシな批判をすべき。しっぺ返しを食らうのでは無いのかね?この表現って。そもそも改竄の意味をなしてないと思うんですけど。

ということで、私個人としてはこういう大幅な修正って嫌いなので、やっぱ初版って買うものじゃ無いなぁと思ったりもします。読解や知識に影響の無い多少の文字の誤植とかならまだ気にしないのですが、間違いとなるとね。よく辞書などが初版は買うなとか言うのを聞いたことありますけど。

今後どうなるのかわかりませんが、文庫化されたらまた買おうかな。

本の内容に期待しすぎてページをめくる指が重いと感じていたわけですが、本と言うものは重箱の隅をつついて大局を見失うような読み方はするものでも無いでしょうから、もっとポジティブに読んでいきたいものです。そもそも、本で筆者が言わんとしていることってなんだ?ってことでしょうから。

「日本国紀」の肝は近現代史を読むことにある

既に知っている内容も多かったこともあって、期待していたよりも刺激性は少なかったのですが、それは同じような問題意識を私も持っていたからということでもあったわけです。

そこはどこになるのかと言うと、前の記事でも少し触れましたが日本国紀の後半の近現代史です。百田さんは近現代史に触れたいが為に、通史にしたのだろうと感じます。本の半分が近現代史ですからね。

日本の近現代史って、やはり学校では語っていないことが多過ぎると思います。自虐史観とかいう考えもありますけど、それを除いたとしても、しっくりしない出来事は多いのです。

アホなアンチの立場からではなく、学問的な立場から日本国紀の内容の是非を細かく指摘していた八幡和郎さんが、Facebookでなるほどなという指摘をしていました。それは「日本国紀」は、日本書紀ではなく古事記のような位置付けで考えればいいのではないかということでした。

これはなるほどなと思いました。平成版の古事記。よく日本書紀は漢文で書かれているので、日本の立場を外国に知らせる目的で編纂され、古事記は万葉仮名なので日本国内向けに作られているといわれています。この構造で読むとしっくりくると。百田さんも日本人に向けて、古代から大切に時の流れで紡いできたことを語りたかったのでしょうから。

それが近代以降に、特に戦中、戦後を通して日本の足を引っ張ってきたものが確実にある。それは何か? あまりにも語られていない部分が、日本の歴史教科書にはありすぎます。案外、見えていない部分が重要だったりすることになるのは世の常だったりしますからね。

ここでは細かいところには触れませんが、戦前戦後の共産主義者の動き、GHQのWGIPとか東京裁判の評価、憲法など、やはり学校教育で語られていないことをしっかり調べてみるべきです。

このあたりは「日本国紀」を読んだ後に、山村明義さんや江崎道朗さんの著書を読むといいでしょうね。

山村さんの本は、もう少しやさしく書かれた『GHQが洗脳できなかった日本人の「心」 アメリカの占領政策と必ず乗り越えられる日本』でもいいですし、江崎さんの本はこれに続く『日本占領と「敗戦革命」の危機』や『アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄』、品切れとなっているのでこの投稿時点ではKindle版しかありません(追記:2019年2月8日に新書版が出ます)が『日本は誰と戦ったのか』なども読むと、絶対に日本についてもっと真剣に考えなきゃいけないと思うはずです。

日本人にとって足りない思考がきっと見つかるはずです。

呉座勇一氏の書評も肝からズレてる?

ベストセラー「応仁の乱」の著者の呉座勇一氏が朝日新聞で「日本国紀」の書評コラムを書いています。

呉座氏によると、過激な内容と予想していたが拍子抜けする内容だったそうだ。西尾幹二氏の「国民の歴史」に比べれば、穏便で、井沢元彦氏の「逆説の日本史」の影響を強く受けているように感じたと書いています。この指摘は多いですね。百田さんの歴史理解の基準はちょっと古く、現在の学会の流れでは「暗い古代」と「明るい中世」といった単純な見方はとらないなどとも言ってるのですが、このあたりは確かにそうでしょう。

でも、学会は関係無いんですよ、百田さんの狙いは。学校の教科書でしょ?ターゲットにしているのは。

「百田氏にはまずは佐藤信編『古代史講義』あたりを読んでいただきたい」と書いているわけですが、これも百田さんの意図を全くわかっていない指摘でしょう。まず「日本国紀」を読むのではなく学校教育での教科書が一体どうなのかを見てからではないでしょうかね。

なぜ、「日本国紀」の後半の半分のページ数が近現代史なのか? ここを避けてたら全く意味が無いんじゃないですかね。日本人にとって大切にしたいことってなんなのか? 学者にはその概念は無いのでしょう。

私の「日本国紀」の結論

さて、「日本国紀」を読んで一言で感想を述べるとします。

朝日新聞が悪い。

ちょっと短絡すぎますかね?w

でも、最近思うことがあるんです。

戦前、軍部の暴走と教科書的な話ではなされます。軍国主義です。これを右翼的な流れとして批判する訳です。そして戦後は保守的な思想をそこから危険と短絡的に結びつけて発言の機会を狭めてきたところがあります。

でも、今の日本のリベラルと言われてる人の動きや主張の方が、戦前の軍部の暴走と親和性を感じるんですよね。戦前も共産主義に振りまわされてるようにしか思えないんですよ。調べれば調べるほど…

朝日新聞(だけでは無いけども)も、そこにいるんだよなぁ、昔も今も。

とまあ、今回もなんかダラダラと書いちゃった感じになったなぁ。もっと構成考えたり、推敲したりした方がいいのかもしれ無いけど。まあ、そういう気合の入ったブログはまた別のところでやるかな。

著者と編集者による、こちらも合わせて読まなきゃいけないでしょうね。

にしても、最近の百田叩きしたい人の指摘って、本文に修正がなくても増刷するのも知らんのやろか? それに、もう最近のパクリの指摘って年とか固有名詞とか普通の歴史用語だったりするんだよなぁ。5W1Hで書いたらそりゃ用語は重なるだろうに。もうアホすぎる言いがかりですわ。

あと、歴史学者が誹謗中傷だらけなブログのリンクまで紹介して論争の中で使ってましたが、もしかしてその歴史学者はそのブログをネタに気づいたわけじゃ無いでしょうね? なんか、もっとマシなのを紹介なりすればいいのに。にしても、歴史学っていうのなら歴史学者の間で学会でやってくれ。歴史自体は歴史学者のものじゃ無い。憲法が憲法学者のみのものでは無いのと同じにね。一般国民としても大いに語っていいはずでしょうし。