すっかり聞かなくなったオリンピック精神を象徴する言葉

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マラソン

東京オリンピックに向けて、いろいろとゴタゴタしているのはネットやニュースで誰もが知る状況になりました。

新国立競技場がゼロから見直すことになったと思ったら、オリンピックエンブレムも様々な盗用疑惑でこちらも白紙に。

あのエンブレムデザインはお通夜かと思ってしまうような暗さと冷たさがあったので、経緯はどうあれ変更されることは個人的には喜ばしいことです。もっと躍動感のある明るいものになって欲しい。

と同時に、日本のデザイン業界の後進性が浮き彫りになったような気がします。

あちらこちらから素材を許可なく持ってくるあのセンスは、プロじゃ無いと言われても仕方ないでしょう。ランサーズなどでフリーのデザイナーが1点数千円で必死に仕事をやってたりすることもあるわけで、デザイン業界のトップクリエイターと言われる世界は、殿上人の閉ざされたサロンのようなものになっているのでしょう。

デザインの世界と一般の世界とは扱いが違うというような声も業界からあるようですが、そんな狭い世界でしか通用しないデザインなんてゴミ屑でしかないでしょう。一般の世に出て使われる以上、そんなのは自己満足デザインでしかないと思います。

それに、今回の一連の騒動。誰も責任を取らない。

トップの森喜朗氏からは被害者であるかのような声もあって、なんともなさけないオリンピック組織委員会なのだろうかという思いしかでてきません。

それにしてもオリンピックには商業主義に転じてからなのでしょうけど疑問となることがいろいろあります。

暑い時期を避けることができないのかというものもそうです。国立競技場の見直しに際して、アスリート・ファーストという言葉が出たにもにもかかわらず、猛暑を避ける開催はなぜか無い。前回の東京オリンピックは10月10日というほんとうに考えられた開催でもあったのに。

あとメダルの数へのこだわりも、疑問があります。

あるスポーツは競技カテゴリーが多く、競技人口も少ないので、強化すればメダルの大量獲得が狙えるという戦略の下で国を挙げて力を入れているようなものもあります。

オリンピックはスポーツなので結果が評価されるのは仕方ないことかもしれません。勝ち負けの世界だからメダルを目指すのも当然ありでしょう。

でも、フェアプレーとかスポーツマンシップとか、そういうものはいったいどこに行ったのだろうか。

小さい頃、オリンピックに関しては「参加することに意義がある」という言葉がまず語られてたのを思い出します。

「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」(フランス語: L’important, c’est de participer、直訳:重要なのは、参加することである)の言葉が有名だが、実はこの言葉は彼の考え出したものではない。この言葉は聖公会のペンシルベニア大主教であるエセルバート・タルボット(Ethelbert Talbot)が1908年のロンドンオリンピックの際にアメリカの選手たちに対して語った言葉である。
1908年のロンドン大会が開催された当時、アメリカとイギリスは犬猿の仲となっており、アメリカの選手団はロンドンに来てから色々な嫌がらせを受けた。それで気の滅入ってしまったアメリカ選手団が気分転換にセント・ポール大聖堂の聖餐式に出かけたところ、この大聖堂でタルボット大主教から上記のセリフの入った説教を受けて、大いに勇気付けられた。
この時の出来事とセリフが伝わり、感銘を受けた彼が各国のオリンピック関係者を招いての晩餐会の席上でのスピーチで引用して演説したところ、たちまちこのセリフが“クーベルタン男爵の演説”として有名になり世界に広まってしまった、というのが真相である。
また、クーベルタン男爵はこの席で「自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである」とも語っているが、こちらは本人が考え出したセリフである。

引用元:Wikipedia「ピエール・ド・クーベルタン

勝ち負け以外の何か、メダル以外の何か。あってもいいと思うのですけどね。

それを感じたのは、ソチ・オリンピックの浅田真央選手と上村愛子選手。あんなに見ていて身体中が震えることって滅多に無いと思うのですよ。

東京オリンピックも、心の底から震えるような体験がしたい。

今回のゴタゴタを見てると、組織委員会こそがオリンピックの精神や志を感じ無いんですよね。

招致の時、見事に機能したチームジャパンはどこに行ったのだ?

ただ、良かった点もあるにはあります。

白紙になったらなったで、無責任な評論家が何かと問題点を挙げてゼロベースで考えることに足を引っ張るようなコメントを出していますが、一度決めてしまったことはなかなか変わることの無い日本のこれまでの習慣というか官僚仕事的なところが、こうやって崩れたということに関してはちょっとした日本の変化だと思うのですよね。

これは前向きに捉えたほうがいいでしょう。

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