憲法9条と自衛隊について私が感じてきたことの変遷

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安倍総理が自民党総裁として憲法9条に自衛隊を位置付ける改憲のメッセージをある集会で示していろんなところで話題です。

改憲反対の人はいつものようにヒステリックに騒がしいが、改憲賛成の人も安倍総裁のメッセージについて賛否があるようです。

どうあれ、憲法について議論を深めることは常にやるべきとこだと思うので問題提議としては賛成です。どうするか、どういう運用になるのかをしっかり考えないといけない。

憲法についてフォーカスが必要以上に集中してしまうのが9条です。おそらく私がこの9条、そして9条に絡んで問題となる自衛隊について学んだのは小学校6年生だったように思います。社会科の時間ですね。当然、戦争は嫌だなぁ、平和主義っていいなぁ、みたいな思いは持ったわけです。

ここでは、この思いや考えが私の中でこれまでにどう変遷したか書いていこうと思います。

結論として、私は平和主義のもとで、自衛隊を世界標準で活動できる国軍にすることは賛成です。

憲法9条に初めて触れた小学生時代

憲法9条を初めて学んだのは小学6年の社会科の時間だったと思う。歴史の学習です。時系列的には大東亜戦争の悲惨な内容を学んだあとに出てくる話になるだけあって、憲法9条の内容自体には「そりゃそうだよな」という思いになります。

でも、やはり小学生なりに疑問も出てくるわけです。

「もし他の国が喧嘩を仕掛けてきたら日本は殴られるだけになるの?そりゃ無いでしょ?」

それについての解決策が朝鮮戦争を機に国を守るために設立された警察予備隊であり今に続く自衛隊です。

「そりゃそうだよな。いくら戦争放棄だとか言っても丸腰じゃアカンわ。一般の人だって正当防衛ってあるんだし」

人として当然の感情でしょう。また、違った思いも湧いてきます。

「でもこれ、武力じゃん?普通に読んだら自衛隊って憲法違反じゃん」

そこで小学生なりに思ったのは、大人の事情で憲法って解釈するんだなということですね。

誤解していた自衛隊の意味

憲法をそのまま読めば違憲に見える自衛隊の存在ですが、無きゃ困る。学校で学んでることなのに、どう自分の中で葛藤を抑えていたかというと、9条に違反するように見える自衛隊を平和のための部隊というような位置付けで存在を納得していました。実際、そのような学習の仕方がなされていたと思います。

平和のためならいいじゃん。戦争するためじゃ無いじゃん。

でも私の思っている平和のための部隊とは同じものでは無いことを知ったのはもっと大きくなってからでした。

私は平和のための部隊である自衛隊を、サンダーバードの国際救助隊のような活動とか、国連軍とかに積極的に参加して、国際紛争があったら間に入って行って停戦させたり、侵略戦争だと批判される先の大戦を教訓にして国防に関しては国境が犯されるようなことがあったらその点においては徹底的に敵を叩く。そんな存在だと思っていました。

でも、そんな存在ではなかったわけです。今では多少活動範囲が増えていますが、まだまだ手足を縛られた部隊であるには変わりまりません。

そんな自衛隊に対して、中学か高校ぐらいだったか揶揄する声もありました。戦争には行かないのが自衛隊だから安心して勤められる職場。ある意味で税金の無駄、そんな意見も耳にしたことがあります。

「何もできないのか。正当防衛というのもとても限定的なものなのか。なんか、危ないじゃん」

平和のための部隊である自衛隊を戦後の日本のあり方として積極的に平和構築に活動する世界に誇れる組織と思っていたのですが、手足を縛られた自由に動けない組織、自分が思ってるような平和構築部隊では無いと思った時はとても残念に思いました。自衛隊員がとても気の毒です。

主権を犯す北朝鮮の工作船さえも強引に拿捕も撃沈もできないと知った時の無力感は怒りさえ覚えます。よく言われることですが、拉致問題を防げないのも9条が大きな原因であり、尖閣諸島が脅かせれているのも9条の問題と切り離せません。(1999年の能登沖不審船事件の海上自衛隊の活動について、元自衛官の伊藤祐靖さんが書かれたの『国のために死ねるか』をぜひ読んでもらいたい。この国の国防はどこかが何かがおかしいと感じ無いわけには行きません)

そんな思いを感じながらも、9条を守ったり平和主義を維持しないといけない。自分の中に不協和音があることをずっと感じていました。

9条改正しても構わないと思ったきっかけ

とはいえ、自衛隊が無いなんてありえない訳で、このおかしな感覚は憲法9条があるからであって、このなんとも言えない感覚をスッキリさせるにはどうすればいいのだろうとずっと思っていたのですが、ある時からドライに考えられるようになりました。

それは、孫子の兵法と、動物行動学などの知見を元にした哲学的な話に触れたことですね。

孫子の兵法は言わずと知れた古典。戦い方が書かれた戦略書である訳ですが、単なる読書として読んだ訳です。ビジネス書としてもアナロジーとして使われたりしますからね。

ただ、これを読んで思ったことは、戦争は政治であり外交の一つであるということ。戦わずして勝つというのが理想の戦い。その視点を持ってから単なる殴り合いだけが戦争じゃ無いし、戦争回避をする外交の流れの中で武力を捉えることが政治に必要なことなのだと思った訳です。

9条や平和主義の義務教育的な捉え方でスッキリしない側面が解消された気がしました。

あと動物行動学などの本を読んだ時、人間ももともと残酷な側面が暴力的な側面はあると開き直っで考えた時にスッキリとした感覚がありました。もっと戦争を相対化して冷静にみることができる感じですね。戦争は人類にとって自然現象のように起こってしまうことととらえた時に、戦争はダメだ絶対にダメだと言うような思考から、戦争は起こってしまうことを前提としてそれをどう防ぐかという思考をした方が現実的に平和構築に役立ちそうだという思いに変わって行きました。

それ以来、私は憲法改正ははっきり賛成できる考えを持つようになりました。もちろん、どう改正するかの議論はしっかりやらないといけませんけどね。

Jアラートで思ったこと。冷戦時代もおかしかった

最近、北朝鮮のミサイル発射で、地下鉄が運行を一時停止したことが話題になりましたが、ちょっと思ったことがあります。最近でこそミサイル攻撃は地下鉄などに避難しろというような話がありますが、昔から違和感を覚えていたことがあります。

冷戦時代、必ず核戦争がテーマになりました。米国の映画などでも扱われて、核シェルターなどが登場した訳です。

おい、日本に核シェルターは無いのか?

あの時代でさえそう思ったのですが、そんな話はさっぱりありませんでしたね。日本が核攻撃、ミサイル攻撃を受けたらどこへ逃げたらいいの?冷戦時代にそんな話は全く無い訳です。今になって多少話題になってますが、「マジでどうするつもりなの?」って思う訳です。

自衛隊を信頼してる

近隣諸国ガー!歴史認識ガー!とウザい声が聞こえたりしますが、私は自衛隊を信じています。先の大戦であれだけ大きな犠牲を払った戦いをした国の人間だからこそ、次の事態では絶対に限りなく正しく、誰にも文句を言われないくらいの誇りある行動をしてくれるはず。たとえ日本の政治や憲法が好戦的で侵略的な決断をしたとしても、絶対にそんなことにはならない。おそらく自衛隊が一番冷静に動いてくれる。憲法以上に信頼をおける存在、それが自衛隊だと思っています。

そもそも憲法は変えていいものなのに、護憲とかいう言葉っておかしいわなぁ。変な憲法になったら、また変えればいいじゃん。

ということで、グダグダと書いた感じになってしまった。

まあ、とにかく、誰かが被害を受けないと反撃できないってのはおかしいわ。その被害くらい防げる体制で無いと。

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