軽くなってしまった言葉たち

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メモ

インターネット、テレビ、新聞etc

メディアを見てると、最近、以前と比べて使い方が軽くなったなと感じる言葉があります。

例えば、こう言った言葉たち。

民主

平和

戦争反対

ナチス(ナチズム)

ファシズム(ファシスト)

憲法違反

ジャーナリズム

レイシズム

リベラリズム

言論の自由

人権

ブラック企業

死ね(氏ね、ではない)

歴史修正主義

反知性主義

これらの言葉を使って、相手を批判、あるいは自らの立場を主張しているわけです。

もっと他にもあると思うのだけど、とりあえずこれくらいは簡単に思い浮かんだ。

これらの言葉が本来持ってる意味は真剣に考えないといけないと思う。

こういう言葉を使う裏には「正義」の概念があってのことだと思う。

おっと、この「正義」って言葉もなんだか軽く感じてしまう。

この正義の裏側から感じるのが暴力的な解決の肯定感。

直接的な力であったり、法的なものを乱用しているような雰囲気であったり。

どれも、慎重に考えられずに発せられていることが多いように感じで、物事の本質がどこかへ行ってしまってるような気がします。

もちろん、言葉は自由に発していいものであるのは当然なのだけども。

この自由に対しての不愉快さって何なのだろう?

相手にダメージを与えることだけできればいい。そんな風にしか感じない文脈ばかりのような気がしてなりません。

これらの言葉は、昔はもっと問題点を真剣に捉えようとしていたように感じるのですが。

日本は言霊の国だということももっと意識してもみたいところ。

最近、リアリズムの大切さを感じる日々です。

今日は、徒然なるままに…

こういった本で言葉の繋がりを意識すると、議論や主張もまたスッキリしたものになると思うのですが…

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