高校野球の選手宣誓。最近は青年の主張みたいでなんか嫌ですわ

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夏の高校野球の甲子園大会が近い。全国各地で代表校争いが行われていますが、最近、選手宣誓がなーんか嫌なんですよね。サラッと済ませてもいいと思うのですよ。

東京の予選で早稲田実業の清宮くんが選手宣誓をしているシーンがテレビで流れていました。

「私たちは野球を愛しています」

ああ、宣誓もこんなになってきてるのかぁ。

率直の気持ちとしては、こういうちょっと嫌ですw

いつの頃からが、甲子園の宣誓がスポーツマンシップから青年の主張のようなものに変わってきた感じがします。

あまり高校野球は見ないので、いつからこんな感じになったのはわかりませんが、感覚としては数年前に英語で選手宣誓したころからじゃないかと感じています。

震災の被害があったあとなどは、それにちなんだものになったり。

どうも選手たちに余計な重荷を背負わせてるような気がしないでも無いです。

選手たちを決して批判してる訳ではありません。自由にやっていただいて構わないですよ。

昔の青春時代の熱血スポーツってイメージから、好青年のさわやかなイメージになっちゃってるって感じでしょうか。

ただ、宣誓文を考えるのは大変だなと、いつも思うのです。

昔よりもプレッシャーあると思うんですよね。少しは上手いこと言わないといけないんじゃないかと無言の圧力のようなものが感じられるんじゃないでしょうか。誰もそんなことまで求めていないのでしょうし、おそらく自由に宣誓すればいいのでしょうけどね。

昔は、スポーツだけできていればよかった感じですけど、頭を使わないといけない時代になってるってことでしょうかね。当然、これはスポーツの強化にも繋がっているのでしょうけど。単に運動神経の良さや体力だけでなく、頭で戦うって側面も最近のトップスポーツは多いですからね。

時代も様変わりしたということでしょう。

選手宣誓、やったことありますよ。サラッと「日頃の練習の成果を発揮するよう頑張ります」的なこと言ってさっさと閉めた中学の夏のことでした。

まあ、今回の投稿は、私が選手宣誓する立場だったらマジで嫌だなってだけの話なんですけどね。批判の嫌ではなく、自分がやるのは嫌ってことです。

最近の若者は色々と大変ですね。

ただ、ああいう演説的な宣誓も、高校生にとっては私たちの頃と変わらない青春の1ページなのでしょうけどね。

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